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竹田城址
兵庫県は古い呼称で言えば、摂津・播磨・但馬・丹波の四地域から成っている。
私の故郷である姫路は播磨地域の中心地だが、その姫路には市川という川があって、北の朝来市(但馬地域)から南に流れ、姫路のまちで瀬戸内海に達する。
同じ朝来市から、北に和田山・豊岡・城崎と流れ日本海に注ぐ川もある。
円山川という。
南北に流れる川の源がいづれも朝来にあるということは、この地が山間にあって、標高が高いところにほかならない。

この朝来の円山川沿いに竹田というまちがある。
「竹田の家具」といえばこの辺りでは有名で、街道筋に何軒も家具屋が並んでいる。

昔、虎臥城(竹田城)がこの地にあった。
但馬の守護大名・山名宗全が嘉吉年間(15世紀中葉)に縄張りしたとされる。
戦国時代、秀吉が姫路から但馬地域に進攻し、虎臥城(竹田城)は落城、弟の秀長が城代となった。
標高353.7mの山頂に築かれた山城で、石垣には織田信長が採用した穴太流の石積み技法が用いられている。
今は「竹田城址」と呼ばれ、かつての威容を伝える石垣が残るだけだ。
角川映画「天と地と」のロケにも使われたことがある。


私はこの山城に登ってみたが、情けないことに足が萎えた。
中腹に無料駐車場があって、脇に「城址への近道」と示されていた。
一応は階段状にしつらえてあったものの、ひたすら急な坂・そまみち・崖っぷちの道をのぼって行くことになった。

この地が播磨に繋がる交通の要衝であったことが築城の理由だろうが、なにもこんな高いところでなくてもいいだろうに、と愚痴も出るほどに息が上がった。
運動不足による体力低下を実感。

姫路城を見て育った私からみれば、各地の現存する城郭を見てもさほど感激することはないが、ここの城址には息を呑んだ・・・


さて、この地は秋から冬にかけて雲海が見られることでも有名だ。

雲海は円山川から立ち上る霧によって発生する。
よく晴れた早朝、幻想的な風景をカメラにおさめようとする人たちが竹田を訪れる。

雲海に浮かぶ竹田城址は天空の城・・・

ユーザー:Mei
再生時間:00:03:08
投稿日時:09/03/13 10:44
カテゴリ:国内旅行 
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