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1981年米国 航空管制官スト
81年当時アメリカは1975年にベトナム戦争で敗北、国内経済の破局的危機になる。これに対してレーガンは徹底した規制緩和と民営化、そして企業の大減税をやって、資本主義社会を生き返らせようとした。
 レーガンはまず、就任してすぐに航空管制官労働組合(PATCO)がストライキに立ち上がったことに対して、これを見せしめ的に弾圧するということをやった。
 航空管制官労組は共和党のレーガンを支持した保守的な組合、だが労働強化による激しいストレスで病気になる組合員が続出。ストライキに立ち上がる。レーガンは軍隊や退役軍人をスト破りに動員して航空管制をさせて、1万3千人の組合員全員を解雇した。しかも組合員には「国民の屑」というキャンペーンをはってブラックリストを回し、どこにも再就職できないようにした。それで多くの労働組合がこの弾圧に震え上がってしまい、「レーガン改革」はその恐怖を背景にして推し進められたというものです。

ユーザー:dorousien28
再生時間:00:03:45
投稿日時:08/02/21 13:58
カテゴリ:飛行機 
タグ: 管制官  レーガン  新自由主義 

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