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「失敗から学んだこと」塚本 真木夫 氏 郡山中央倫理法人会 ■ 2月26日(木) 第236回 経営者モーニングセミナー
郡山中央倫理法人会 ■ 2月26日(木) 第236回 経営者モーニングセミナー

講師:株式会社 塚本油店 代表取締役 塚本 真木夫 氏
   (秋田県能代市倫理法人会 会長)
テーマ:「失敗から学んだこと」

http://plaza.rakuten.co.jp/2008901/diary/200902260002/


青年海外協力隊でガテェマラに娘が行き、倫理の講演デビューでは娘に先を越されました。私は昭和25年(1950年)東京生まれ、23~4歳まで東京に。父は映画監督、映画全盛の時代、黒沢明監督のもとで助監督をしていた。「白痴」「十代の恋よさようなら」「別れの旅路」、晩年はテレビの脚本を、そして日大芸術学部の講師などをしていました。映画監督は経済的に安定せずに奥さんが働いた。

農工大卒、ヨット部で海で明け暮れた学生時代でした。就職は三菱商事に内定、そのころ今の家内と知り合い縁あって能代に移り住んで小林から塚本姓に変わりました。家業は明治30年創業の油屋。24歳のときに能代に行って15~6年JC運動に没頭していた。

40歳を越えてから1回目の反省は、大手のガソリンスタンドに修行に行った。神田万世橋のガソリンスタンドに半年いた。常務取締役で財務、経理を勉強しないまま、、、BS・損益計算書の勉強をきちっとしていなかった。急激な構造改革を迫られることになった。理事長、専務理事という関係の中であるとき理事長が夜逃げをしてしまった。

忘れもしない平成8年11月30日です。保証人になっていた。ある日突然夜逃げをされ一財産を失った。金額にして1500万円です。今でも3万円ずつ払っている。ぜったい他人の保証人にはなるな!の教訓を学んだ。石油業界は特石法で守られていたが規制は1996年をもって廃止。能代でスタンド4軒、部門の赤字は許されない。3~4年の間に急激なコスト削減。

能代専門店会の理事長に。28~9%のグレイゾーン貸出が今は18%に。1991年、船井幸雄さんに出会った。プラス発想・潜在意識とのうまい付き合い方や「強く思えば実現することを学んだ」1997年に百周年記念式典をやった。企業はつぶしてはいけない。存続ありき!

いまが一番厳しい。金融は未曽有の危機だが石油業界は去年の石油先物相場の高騰&下落の一連の危機の方が大変だった。2001年(8年前)息子が大学を出て後継者が勤めてくれた。家業に就いたわけですが、彼(息子)は2年前に最大の危機を迎えた。急性リンパ白血病でこれで人生は終わったなと思った。病気になったらおめでとうと万人幸福の栞には書かれているが、告知1ヶ月はどうなるかなと思った。移植1周年になった。骨髄ドナーが見つかった。去年1月ドナー登録が三十万人に。

20~50歳が18~54歳に伸びたことによって一気に登録者が多くなった。これによって年間7~8000人提供を受けられるようになった。ドナーとは年間2回だけ事務局を通じて手紙のやりとりができる。「こんな私が人のいのちを助けることができるとは、、、」と
云ってもらえる。病院に泊まって3~4日休まねばなりませんが、そういったことで人の命が助かるのです。

気がつけば、最近は講演のたびにドナー登録を呼びかけています。40歳を越えてからジョギングを始めました。94年に初ホノルルマラソンは6時間20分。99年は5時間台で完走。
現在75kg週2回ほどジョギングをしています。ジョギングでランナーズハイを体験できます。ベーターエンドルフィンを体験できます。人生前向きにプラス発想!倫理に出会って「苦難は幸福の門・働きは最上の喜び」を知らなかったならば、もしかしたらのりこえられなかったかもしれません。


ユーザー:fcr2008
再生時間:00:04:14
投稿日時:09/02/28 16:56
カテゴリ:ビジネス全般 地域 
タグ: 経営者モーニングセミナー  郡山中央倫理法人会  塚本  真木夫   

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