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アヴェ・ヴェルム・コルプス(お話です)儒学の朱子学を基盤に学ぶ王陽明が五溺(ごよく)を越えて心即理の観点の樹立について
アヴェ・ヴェルム・コルプス(お話です)儒学の朱子学を基盤に学ぶ王陽明が五溺(ごよく)を越えて政争の苦難にあう最中たどりついた心即理の観点の樹立について

心即理は心がすなわち理である。この心をおいてほかに、どんな事物があり、どんな理があるというのか。ということを意味します。

心を性(=天から賦与された純粋な善性)+情(=感情としてあらわれる心の人欲)として捉えて、心は霊妙な功があり天理がすべてそこにあります。あらゆるものが心から出てきます。心の外に理があるのでもなく心の外に事があるものでもないのです。

(伝習録上巻)

ユーザー:有馬徳彦
再生時間:00:59:29
投稿日時:12/04/06 18:14
カテゴリ:暮らし全般 エンタメ全般 教育全般 
タグ: アヴェ・ヴェルム・コルプス(お話です)儒学の朱子学を基盤に学ぶ王陽明が五溺(ごよく)を越えて政争の苦難にあう最中たどりついた心即理の観点の樹立について          心即理は心がすなわち理である。この心をおいてほかに  どんな事物があり  どんな理があるというのか。ということを意味します。    心を性(=天から賦与された純粋な善性)+情(=感情としてあらわれる心の人欲)として捉えて  心は霊妙な功があり天理がすべてそこにあります。あらゆるものが心から出てきます。心の外に理があるのでもなく心の外に事があるものでもないのです。    (伝習録上巻) 

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