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アヴェ・ヴェルム・コルプス (お話です) 「ギリシャとヘブライの倫理」「感覚的トピカと原初の通俗知から深遠な知の反復」
アヴェ・ヴェルム・コルプス (お話です) 「ギリシャとヘブライの倫理」

「感覚的トピカと
最初の人間たちについて。

:原初の通俗知の想像力から
最初の人間たちの感情と知性についての論究。

:最初の人間たちは、
個性と知性がくっついていたから、
顔の表情が変わる度に
新しい顔が生じたと考えました。

根拠は新しい感情が起こる度に、
別の心臓、別の胸、別の意識が
生まれたと考えたからです。

(現代の人間の知覚と認識に
比べて先ずこれが最初にございました。)

対象の知覚、認識が実際に転じても
留まる事を知らずこれに沿っていくだけで、

表情が変わっても
同じ顔と認知することが無く、
別の感情が起きても、
心臓、胸、意識が同じであると
知覚しませんでした。

これらについて、
対象の自己同一性が
与えられていないことと、
開悟の普遍的抽象性の
欠如に起因することもございます。」

特に

「最初の人間たちは、
個性と知性がくっついていたから、
顔の表情が変わる度に
新しい顔が生じたと考えました。

根拠は新しい感情が起こる度に、
別の心臓、別の胸、別の意識が
生まれたと考えたからです。」

ということから
自己同一性を与えることで
普遍的抽象性という
文明的な意識の場所から
自分を認識しますから
「自分探しが無意味である論拠」
が確認できます。

そして、
原初の人間に
「自分探し」
を行うまでも無く
「個性と知性が合致する知」
の知覚が備わっていたから、

現代の人間も自己同一性が
崩れて混乱するときに
「自分探し」
を自らに要求する
意識が発生します。

原初も現代の人間も
知覚の根底に備える
「個性と知性が合致する知」
に回帰してこれらを確認してから
「自己同一性の獲得」
のための手立てを行うことで
解決して行くものである
ということがいえるからです。

これらの手立てが
「開悟の普遍的抽象性」
ということになります。


のりひこ

ユーザー:有馬徳彦
再生時間:01:17:15
投稿日時:12/08/09 12:44
カテゴリ:暮らし全般 エンタメ全般 教育全般 
タグ: アヴェ・ヴェルム・コルプス  (お話です)  「ギリシャとヘブライの倫理」    「感覚的トピカと  最初の人間たちについて。    :原初の通俗知の想像力から  最初の人間たちの感情と知性についての論究。    :最初の人間たちは    個性と知性がくっついていたから    顔の表情が変わる度に  新しい顔が生じたと考えました。    根拠は新しい感情が起こる度に    別の心臓  別の胸  別の意識が  生まれたと考えたからです。    (現代の人間の知覚と認識に  比べて先ずこれが最初にございました。)    対象の知覚  認識が実際に転じても  留まる事を知らずこれに沿っていくだけで      表情が変わっても  同じ顔と認知することが無く    別の感情が起きても    心臓    意識が同じであると  知覚しませんでした。    これらについて    対象の自己同一性が  与えられていないことと    開悟の普遍的抽象性の  欠如に起因することもございます。」      特に    「最初の人間たちは    個性と知性がくっついていたから    顔の表情が変わる度に  新しい顔が生じたと考えました。    根拠は新しい感情が起こる度に    別の心臓  別の胸  別の意識が  生まれたと考えたからです。」    ということから  自己同一性を与えることで  普遍的抽象性という  文明的な意識の場所から  自分を認識しますから  「自分探しが無意味である論拠」  が確認できます。    そして    原初の人間に  「自分探し」  を行うまでも無く  「個性と知性が合致する知」  の知覚が備わっていたから      現代の人間も自己同一性が  崩れて混乱するときに  「自分探し」  を自らに要求する  意識が発生します。    原初も現代の人間も  知覚の根底に備える  「個性と知性が合致する知」  に回帰してこれらを確認してから  「自己同一性の獲得」  のための手立てを行うことで  解決して行くものである  ということがいえるからです。    これらの手立てが  「開悟の普遍的抽象性」  ということになります。      のりひこ 

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