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アヴェ・ヴェルム・コルプス  (お話です)  '18年(=大正7)'22年(=大正11)の各政党の攻防と情勢について。
アヴェ・ヴェルム・コルプス  (お話です)  '18年(=大正7)'22年(=大正11)の各政党の攻防について。'18年(=大正7)政友会(立憲政友会)が政権与党になり、内閣で最初の爵位がない首相の平民宰相の内閣が成立しました。国民の支持が強く憲政会(立憲民政党)と国民党が議員数を減らしてございました。民主主義的社会主義的運動を抑圧者の解放運動でなく外部からの下層民衆の扇動と解釈して思想弾圧が行われました。ここがこの時期の各運動弾圧の根拠で'45年(=昭和20)以降もこの側面がございます。他方、政友会の強引な手法が民衆の反発も招き、満鉄事件、アヘン事件から平民宰相が交代します。このとき内部分裂などもございました。歳出削減を行い、健康保険法の公布、反普通選挙を主張してございました。憲政会・国民党の普通選挙法案を阻止して普通選挙を求める民衆と警官隊が衝突しました。他方、政友会が司法省推進の社会主義弾圧法案を提出して貴族院を通過しましたが衆議院で審議できずに停止しました。内閣総辞職で政友会も野党に添う形で組閣しました。普通選挙法案・過激社会運動取締法案・小作争議調停法案・労働組合法案も検討しましたが達成できませんでした。同じ時期に大陸で旅大回収運動(遼東半島の租借地の償還期限問題)・経済絶交運動が起きて、'23(=大正12)日本軍と中国民衆が衝突(長沙事件(ちょうさじけん))しました。この時期の国内の社会運動と国体運動と国家の情勢について。社会主義運動が盛んになりましたが、多様性がございました。反動的軍国主義に抵抗的なもの、マルクス主義、サンジカリスム、ギルド社会主義、国家社会主義、などの主張がございました。'18年(=大正7)新人会(特権階級社会の是正・民衆社会を主張)が成立した翌年民人同盟会(デモクラシーを主張)が成立して、ここから建設者同盟が分派しました。

ユーザー:有馬徳彦
再生時間:01:32:33
投稿日時:12/02/23 9:13
カテゴリ:暮らし全般 エンタメ全般 教育全般 
タグ: アヴェ・ヴェルム・コルプス    (お話です)    '18年(=大正7)'22年(=大正11)の各政党の攻防について。'18年(=大正7)政友会(立憲政友会)が政権与党になり  内閣で最初の爵位がない首相の平民宰相の内閣が成立しました。国民の支持が強く憲政会(立憲民政党)と国民党が議員数を減らしてございました。民主主義的社会主義的運動を抑圧者の解放運動でなく外部からの下層民衆の扇動と解釈して思想弾圧が行われました。ここがこの時期の各運動弾圧の根拠で'45年(=昭和20)以降もこの側面がございます。他方  政友会の強引な手法が民衆の反発も招き  満鉄事件  アヘン事件から平民宰相が交代します。このとき内部分裂などもございました。歳出削減を行い  健康保険法の公布  反普通選挙を主張してございました。憲政会・国民党の普通選挙法案を阻止して普通選挙を求める民衆と警官隊が衝突しました。他方  政友会が司法省推進の社会主義弾圧法案を提出して貴族院を通過しましたが衆議院で審議できずに停止しました。内閣総辞職で政友会も野党に添う形で組閣しました。普通選挙法案・過激社会運動取締法案・小作争議調停法案・労働組合法案も検討しましたが達成できませんでした。同じ時期に大陸で旅大回収運動(遼東半島の租借地の償還期限問題)・経済絶交運動が起きて  '23(=大正12)日本軍と中国民衆が衝突(長沙事件(ちょうさじけん))しました。この時期の国内の社会運動と国体運動と国家の情勢について。社会主義運動が盛んになりましたが  多様性がございました。反動的軍国主義に抵抗的なもの  マルクス主義  サンジカリスム  ギルド社会主義  国家社会主義  などの主張がございました。'18年(=大正7)新人会(特権階級社会の是正・民衆社会を主張)が成立した翌年民人同盟会(デモクラシーを主張)が成立して  ここから建設者同盟が分派しました。 

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