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Vivaldi Gloria in D Major RV 589 (お話です)「生成と壊滅(えめつ)」「四不生」「法界縁起説」
Vivaldi Gloria in D Major RV 589 (お話です)
生成と壊滅(えめつ)が
同じでも別でもなく
時制上も生成と壊滅が
同じでも別でもなく

直接的に
生成と壊滅を
見ることができると考える場合
このような考え自体が
迷いから起きてございます。

(四つの生起のありかた)の
「自生」
「他生」
「共生(ぐうしょう)」
「無因生」
を否定して
縁起を示してございます。

われわれが生存する現象世界は
諸々の事物が生滅変遷する
仮の姿でございますが
真実は生滅しないということを
示してございます。

このことから、
縁起を領解するとき
諸法不生であり
縁起のものは不生であり
縁起は消滅を離れていることから
諸法実相を示します。

華厳宗の法界縁起説から
諸法が有為法と無為法から
縁起していることを示して
諸法が相即円融
(そうそくえんゆう)
であることを論じて
部分から全体を見るという
手立てを示してございます。

ユーザー:有馬徳彦
再生時間:01:18:33
投稿日時:12/05/18 11:24
カテゴリ:暮らし全般 エンタメ全般 教育全般 
タグ: Vivaldi  Gloria  in  D  Major  RV  589  (お話です)生成と壊滅(えめつ)が同じでも別でもなく時制上も生成と壊滅が同じでも別でもなく直接的に生成と壊滅を見ることができると考える場合このような考え自体が迷いから起きてございます。(四つの生起のありかた)の「自生」「他生」「共生(ぐうしょう)」「無因生」を否定して縁起を示してございます。われわれが生存する現象世界は諸々の事物が生滅変遷する仮の姿でございますが真実は生滅しないということを示してございます。このことから  縁起を領解するとき諸法不生であり縁起のものは不生であり縁起は消滅を離れていることから諸法実相を示します。華厳宗の法界縁起説から諸法が有為法と無為法から縁起していることを示して諸法が相即円融(そうそくえんゆう)であることを論じて部分から全体を見るという手立てを示してございます。 

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